タイミング

さてさて、気持ちの整理用にここに今週一週間の総括を書いておくのです。

 

  • 父の容態

先週金曜日は妄想でもみているのか病室で唸り声をあげていて、1ヶ月持たないと思うと宣告を受けていた。座薬が効いたのか、唸り声をあげるのは無くなったとのこと。じゃぁ回復の兆しがあるのかというと、今だに体の震えが止まらないらしくベッドから落ちないように固定。オムツはハメっぱなし。1日のほとんどを寝て過ごしてるとのこと。

 

病院はコロナ禍のため面会謝絶。洗濯物を渡しにナースステーションまでは行けるので、日曜日は、仕事前に母の代わりに洗濯物の受け渡しに。看護師さんに容態を聞くも、変わらないですねぇとのこと。相変わらず病室はナースステーションの前だから余命宣告時から対して変わってないんだろうなぁ。色々と察しながら、看護婦さんにぺこり。洗濯物を受け取る。下りのエスカレータの中で、手紙が入っていることに気づく。容態が悪くなる前から母に手紙で色々お願いをしていた話は聞いてたので、父の手紙だと気づく。震えた文字で4行ほど。震えまくってるし容態が悪いせいか支離滅裂で良く読めない。最後に書かれている「ごめんなさい」だけは問題なく解読可能。切なくなる。

母に渡す。「ごめんなさいなんて思わんでいいのにね」って母にこぼすと、「そんな人やん」と諦めたような顔でひとこと。そう、父はネガティブでクヨクヨするひとなのだ。いつもと変わらないと言えば変わらない父。切なくなる。容態が悪くなる前も母には手紙で病室からお願いをしてたとのこと。饅頭を万十と書き間違えてた手紙を楽しそうに添削してる母を思い出す。やっぱり切なくなる。病院を後にし母と歩きながら、母が「最近ご夫婦で楽しそうに話してる人を見ると寂しいのよね。喧嘩ばっかりしてたのに」とこぼしてたのを思い出す。やはり切ない。

 

  •  ごめんなさいの意味を考える  

謝ると言うことは申し訳ないと思っているんだとは思うけど、具合が悪くなったことに謝ってるとはちょっと考えにくく。うなされる、ほぼ寝ていると言うことを考えると昔のことを思い出したのかなぁと。年末、昔悪いことをしたから具合が悪くなったと母にこぼしてたらしい。本人曰くバチが当たったんだと。

昔の父は自由奔放で欲望に忠実な人だったから、仕事が終われば夕方17時から深夜2時まで飲み続けてたし、僕ら子供と出かける約束があっても早朝野球に行きそのまま酒を飲みに行って約束をすっぽかすことはしょっちゅう。たくあんが好きで僕らが食べると俺の分が減ると怒る、超合金のおもちゃが欲しくて母の手伝いをして小遣いを貯金箱に貯めてたらそのお金を抜いてパチンコに行くetc。友達の父さんと比べるとほんの少しだけファンキーな父親だった。

特に最後のパチンコ事件は、父はずっと後悔してたらしく俺の失敗と嘆いてた話を聞いている。そりゃそうだ。誰がどう見てもひでぇ話だもんw僕も今だに覚えてるもんwでも、当時の僕は恨んだと思うけど、今は恨んでは無いかな。おかげさまでギャンブルはやらない大人になれましたからw

 

酒飲んだ次の日は会社をズル休みしたりするような父ではありましたが、それでも我慢して会社に勤め上げ、高専の専攻科まで出させてもらいました。月並みですが感謝の気持ちの方が強いです。

もし、この「ごめんなさい」って言葉が僕ら兄弟に対して言っているものならば、「大丈夫よ」って一言を父に伝えたいです。コロナ禍で会えませんが。会えたところで「大丈夫よ」の一言すら理解してくれるか?分かりませんが。後悔の念を抱えたまま父にはいてほしくなく。せめて幸せだなぁって気持ちで自分の人生を振り返ってほしいのです。全部は無理だろうけど、ほんの少しでも父が安らか気持ちになれないかなぁと、自分にはどうしようもないことでモヤモヤするのです。

 

本当は、「ごめんなさい」って謝るくらいなら、、、いや、生きてよwって笑いながら声にならない声で叫びたいんですけどね。

 

  • 10年周期で大事な決断をしている気がする

10年前は関東で働いてましたが、父が早期の癌になったことで日帰りで千葉⇨福岡を往復。

それがきっかけで転勤の希望を出し地元に戻りました。もともと障害児であった弟のことが気になり、このまま関東で働いていても良いのか?と鬱屈して2年ほど悩んでたのです。当時僕は人生で一番暗かった時期。もともと就職するときに両親と弟のことで自分の人生をふいにしてはいけないよと言われていたこともあり、帰っても良いのか?でも離れて暮らしたら、両親が去った後に弟のことでちゃんと考えて判断できるんだろうか?って夜な夜な悩んでは、なーんか世界で自分が一人ぼっちな気がして誰にも相談せずに涙を流してた、気がします。

弟のことが恥ずかしいとは思ったことはないんだけど、話しても誰も理解してくれずむしろ税金で生きてるんでしょ?くらいな話をされそうな気がしててあんま人を信用してなかった時期ですね。じゃぁなんで決断したかというと、当時の上司が転勤してきた人でその人の中に何を感じたのかはっきりと覚えてないんですけど、なんとなく信用して勇気を出して相談したら希望叶って地元へ転勤した次第です。

その時の経験からネガティブな人がポジティブに変わっていく時のエネルギーは凄まじく、別にネガティブだからってダメだって自分にラベルを貼り付けることは無いんだな、と実感したのは今の自分で色々と生きてる部分ですな。

 

今は気持ちが少し塞がっており、父と話せるようになってきた矢先に父の容態が悪くなってしっまった事で後悔はしているんですけど、起きてしまったことは変えられないんだから仕方ないじゃん、むしろ母と弟のことで同じような後悔をしたくないって気持ちが強く、もともと弱い人の助けになるような仕事がしたいなぁと思ってたこと、給料がそれなりに良くても長時間労働、休日出勤、コロナかでも出張余裕な今の仕事やりながら、母と弟の手助けはまぁ無理だなぁだし、まぁギスギスしてる今の職場はもう無理って気持ちがあり。大きな決断を上司にいつ告げようかと思ってる次第です。

 

10年前のあの決断、、、関東で働いてた方が良かったんじゃないか?とたまに頭をよぎることもありますが、あくまでたらればなので後悔してないんですよね。結局のところ自分で決断したって部分が強く。あの時の経験から察するに、まぁ決断しても後悔しなさそうな気がしてます。10年周期。なんかタイミングってあるんですかね??