欲しい物を手に入れてしまっていた

自分の心境の変化を感じるので、ここに書いて置く。

 

今年の二月頭に父の3回忌を行なって無事に終わった。

昨年末は叔母が亡くなり2月まで家のことをバタバタとこなしてた。祖父母は従兄弟同士の結婚。父達兄弟は

 

一人で過ごしたいと思い、プロ野球のキャンプを見に宮崎キャンプを見に旅に出た。

 

キャンプの日程をちゃんと確認して無かったので、1日目はお目当ての球団の練習を見れなかったのは残念だったけど、プロ野球全体が好きなので他の球団のキャンプを見にいったら、あっちこち観光して回って楽しく過ごせた。

 

歩き回って疲れてたせいかアルコールを少し飲んだら、ぐっすりと眠りに落ちた。

 

その日は夢を見た。自分は普段夢を見ることがない。起きたら夢の内容を覚えてない。というのが正確なのかもしれないけど、その日の夢の内容は三ヶ月経った今でも覚えている。

 

父だった。父がいたのだ。情景は20年くらい前だろうか、どうも自分が就職する前で、家の台所で進路に悩んでた場面だった。

 

うーんって悩んでる自分を横目になんの気も無しにトイレに入っていく父を見かけた時、夢の中の自分は当時には戻りきっておらず、父を亡くした今の自分とこんがらがってしまい、思わず

 

父さん!!!

 

と声にならない叫び声を出した所で、夢から覚めた。

 

 

泣いていた。薄らではあったけど泣いていたのだ。祖母の葬式でも泣けず、実の父が亡くなった時も葬式でも法事毎全部で泣けず、訃報に涙したという人の話を聞いては、自分は冷たい人間なのかな?と思っていたけど久しぶりに泣いた。泣けたのだ。

 

弟の事。自分にうまくやれるのかなー?と自信はなかったけど、あまり振り返らず感情的にならずにやるべき事をやってきたので正直なく暇程気が緩む暇がなかったというのが本音なのだろう。

 

幸いな事に弟は父の死を受け入れて特に取り乱す事もなく2年間過ごせているので、上出来だと思う。

望んで実家に戻ったわけでもなく、ましてや血が繋がっていえど価値観の違う母とは喧嘩もしたりするが、それでも世間一般から見ればうまく母とはやれてる方なんだろうな。障碍者の弟の状態が崩れてないことへ母な感謝の言葉は素直にしている。

父の3回忌は、自分と母と弟の3人だけでやったとはいえ、今まで親戚から呼ばれなかった弟を呼べたので、大満足なのである。法事に弟を呼ぶ。

多分あんまり分かってもらえないだろうけど、自分がずっとしたかった事だったのです。

 

正直にいえば、父とは生前折り合いが悪く、あんまり会話のない親子で、最近父が丸くなったなぁ、これなら少しづつ仲良くなれるなぁと思ってた矢先に父に死なれて、心底心にきてたんだけど。

 

ただ死ぬ間際に母親を頼むと自分宛への手紙を書いていたことから察するに、なんだかんだで世の中で自分の事を1番信頼してくれていたのが父だったんだろうなぁと、今になって思うんです。遅いよ!と、父を憎んだり、自分へ後悔したりもせずに。

 

色々と諦めたものが人よりも多い人生ってだったけど、これからも諦めるものが多いんだろうけど。

 

自分の感情が他人にあまり左右されずにあくまで自分に軸があるからだろうけど、ある程度事情をわかってくれてる上司からは達観してるねと評価されたりするので、諦めてはいるけど前向きではあるんだろうなぁ。と思うし。

 

10代の頃から人生がつまらなくなればいつ死んでも良いやって思って生きてきて、それは今でも変わってないけど、自分にとってつまらないとは無味無臭をさすので、この先、死にたいなぁーと思うことはないんだろうなぁと、確信している。

 

自分に流れてる血だけはどうもこうもしょうがなくて悲しみの原因である血が流れている自分が生まれてきても良かったのだろうか?って悲しみだけは自分から消えることは一生無いんだろうけど、それは無味無臭をもたらさないので、消えなくても良いんだって思っている。

 

諦めたものは多いけど、若い時に1番欲しかった自分への自信というものを、手に入れてる気はするなー。世の中の啓発本と違って無自覚になんだけど。

 

後付な気はするけど、だからこそ父が世の中で1番信頼してくれたのが自分なんだろうなぁ。と思う。

 

自分の境遇を羨ましがる人は少ないだろうけど、今の心境を羨ましがる人は一定数いるかもしれんね。やっぱり自分の人生が無味無臭になることは、これから先も、この先もきっと皆無だと確信してる。

2023年盆

表題に盆と書いておきながら、はい、盆です!

 

って書き出すのは如何なもんだろーなぁって思いつつも、盆だもん。盆。昔、和寿桜井さんは、夏休みのある少年時代に戻りたいなーああぁ♬って、ニシヘヒガシヘ歌ってましたが、おじさんには夏休みはありません。盆休み=夏休みなんだから夏休みって言えよぉ!って若人は言うかもしれないけど、ほら、地方住みのおじさんって夏はほら、実家のアレで墓参りとかそれなりにアレで、アレだから盆休みと言ってた方が、社会人同胞からお疲れ様です!って言ってもらえそうでちょっぴりお得です。

 

歯食いしばって生きてるんだ。おじさんもどうせならちょっぴり得したい!!甘えさせてくれよー。

 

と、アレな出だしなのですが、やはり、父を亡くして2回目の夏、普段は父親が亡くなったことなんてすっかり忘れてるんだけど、なんとなくセンチになっております。男の子だもん。

 

風習的な部分での盆ってイベントってのは、まぁ負担になりすぎない程度にそれなりにやれば良いやってしか思ってないけど、ただ、残された人達がちょこっとだけ気分を整理するにはちょうど良いのかなーって思ってみたり。

 

亡くなった人の為にする供養するんじゃなくて、残された人の為にするイベントだよなーって思います。

 

生前、

 

定年退職を迎え短期バイトをしてた父。火傷をした時に、継続してもらえなくなると思ったのでしょう。職場の人に黙って帰ってきた時があります。労災隠しになって職場の人に迷惑かけるだけだから、今すぐ電話して正直に報告しなさい!って叱り飛ばした時があります。

 

昔から子供っぽく、大人気なく短気だった父親。逆ギレして反論してくるかなー?、って身構えてましたが、涙目になって素直に言うことを聞いてくれたのが意外でした。

 

子供の頃から褒められた事なく、決して仲の良い親子関係だったわけじゃ無いんですけど、今になって思えば、意見を受け入れてくれたあの日の時点では、僕のことをどっかで認めてくれてたような気がします。

 

正直心残りはいっぱいあって処理に困る時が未だにあるんだけど、仲が良かったのが悪くなったケースに比べたらまだマシなのかなぁ?って思わんでもなかったり。

 

もう1人のまだ元気な方の親とは、まぁなんか疲れまくることはあれど、その悩みを話せる人も多くは無いしほーんのごく一部だけど僕にはおるけ、爆発せずにはおれるし。

おっさんと仲良くできんかった分、母さんとはまぁなんかお互いに我慢しすぎない健全な関係を築けるようがんばるよ!だから、おっさんは盆に未練がましく今更帰ってこんで、安心してあっちで元気にパチンコでもやってくれwwwwwwww

 

って感じです。

 

人の信条にケチをつける気はサラサラ無いけれど、残った人が幸せになることを祈ってくれん仏様に手を合わせる義務はないじゃんねーって思うんですよ。

 

父親殿、アンタがそんな冷たい人間とは言うてないけんね。勘違いせんでほしい。残った人間が幸せなら、アンタの心残りは消えるやろうけん頑張るよ!って言われた方がアンタ救われるんやろ?って思うけん、少しづつだけどちょっとづつ頑張るよ。

 

建前大事だと思うけどさ、自分のために手を合わせるって本音ベースでさ、法事関連はちょうど良いと思うんよなー。そっちの方が親戚感のアレも無くなりそうで気楽そう。

欲張りでいたいのだ。

世間一般的には大型連休。

皆様いかがお過ごしでしょうか?

暦通りのお休みの方、大型連休無縁の方、お仕事お疲れ様です。

 

わたくしは、先週金曜日、抜糸でお休みをいただきそのまま10連休です。

一昨日は出張、去年は予定返上で休日出勤。振り返ってみれば、10年ほど前は同期の結婚式に出席予定だったのですが、元々の出張予定が東日本震災に伴いゴールデンウィークに延期、台風に追っかけられながら出張先へと新幹線で向かっていた覚えがあります。同期の結婚式も社畜の出張も大事なイベント。どっちが台風で悲惨になった方がマシ?そりゃ、社畜の出張だろーーー!!台風はおれにまかせろーーーーーー!!皆は俺抜きで同期の結婚式を祝えーーーーー!!涙

 

40代に突入し、たまに同期と顔合わせるとたまに思い出し、笑い飛ばせるワタクシらしさ全開の泣き笑いのエピソードでございます。そんなワタクシなのでたまには贅沢に休みを頂いてもバチは当たらないでしょー。今、休めてない人が休みを取れた時にはワタクシが汗水涙垂らして働いていることでしょう。台風は来てるかは分からないから、休みの人の代わりに無事追っかけられてるかは分かりませんが、それ以外、特に働くことは僕に任せて休んでくださいませ。我ながら時代が時代なら人柱に選ばれそうなセリフですね(他人事)

 

 

みんながみんな、いっつも忙しく働いてるのはなんか疲れてる社会な気がしますし。たまには休まないとね、いっつも仕事仕事でこの人いつ休んでるの??って不安になるような人に良いよ良いよ休みなって言うても、申し訳なさ過ぎて説得力が無くなる気がしますし。己の説得力を増す、そんな今年なのだ。

f:id:zeruo3:20230504062811j:image

↑ライトアップで色々ドメスティックに増し増しな近所のお散歩コース。これの3分の1位でいいから、増し増しになっていきたい。

 

前書きを楽しく書いてたら言いたい事を言いわすれてしまいそうなんで(不治の病)、本題へと入ってまいります。

 

施設暮らしの弟の話。

 

5類への移行に伴い施設暮らしの弟の帰省許可が降り、数ヶ月ぶりに実家に帰ってきております。2泊3日とまだ日数は少ない規制ではありますが、ここ最近色んなことがあり気分の沈み込みが激しい時もあった母も心穏やかに過ごせております。良かった良かった。

 

ただ久しぶりに弟と過ごして感じるのは弟の老いが早い、これに尽きます。

・弟の暮らしてる田舎に比べたら、一応地方都市であるうちの空気は悪く、以前に比べて弟の咳が止まらなくなる。熱はなくコロナではない。

・家で転んだら立てなくなる時がある。補助に入りよいしょよいしょと数分過ごしようやくベッドにたどり着けるような感じ。元々マイペースで歩くの遅いとはいえ、普段は歩けるんだけどなー。

 

気持ちが荒れてた時もあり10代後半の時から強めの薬を処方していた事、障害者は20過ぎたら老いが早いと言われている事、父方の家計がどうも血液の病気を抱えがちであり、どうも弟がその傾向にある事(大きな出血したら助からない可能性大と言われたことあり)。

 

弟が寝てから母と2人で長生きは出来そうもないから覚悟しとこうねと、今回の帰省でも台所で話しておりました。

 

全部が全部穏やかなことばっかでは無いんですけれどもそれでも弟がグズる訳でもなく穏やかに実家での一時が過ごせてたので、母にとって数年間待ち望んでいたGWになりました。どこにも行ってませんが家に居れるだけで幸せ、というのもあるのです。

 

父が生きてた頃、弟はもっと不機嫌だったなぁ、と思うとそれはそれではぁ、、、って思うのですが、父は子供っぽく食べ物や行動を譲るような人ではなかったので仕方ない事かと思います。やっぱりそれはそれで、はぁ、、、だなぁ。まぁ、ワタクシが家庭というものにトラウマを植え付けた元凶なので、中身は小学生な弟からしたらますます仕方ないのです。

 

父が亡くなった時にある程度自分のしたかった事が二の次になっていくことに覚悟を決め、行動をしてきましたが、今回の帰省で母ひとり、またワタクシ1人では弟と同じ時間を過ごすのは無理だなぁと痛感。弟は私より背丈が重く、私でも70kg越えの成人男子を抱えるのは至難の業なのです。腰が死ぬ!死ぬ!施設でお世話になっている方に相談して上手いことやっていくしかない感じですねぇ。普段我々には出来ないことをやって頂いてると思うと改めて頭が下がります。

 

 

正直な話、、、

 

今の上司からは家庭の事情は考慮するけど、自分の幸せも大事にせにゃいかんよ?と釘を刺されており自分自身も上手くやれるんかなー?と疑問に思ってはおりましたし、このまま閉鎖的なまま歳をとっていくような死んでるような生き方はしたくないと思っております。

 

せめて家に籠らんようにとゲームから極力遠ざかってるのはその一環ですね。あんまりゲームやらないのにゲームで繋がってる友人だらけで申し訳ない。ダイエットに最近力を入れてるのは見た目を良くしたい以上に、老け込まずに外に出れてなおかつお手軽に楽しめるものが欲しい!そんなささやかな抵抗から来たワタクシなりのひと工夫です。だから頑張れてるんだよ。

 

2月3日が91kg→5月4日現在75.5kg。改めて褒めたまえ。

 

今回何の気なしに思ったのが、今は無理でも歳をとってからチャレンジ出来ることがあるかもしれない。たまたまですがワタクシは10歳程歳が若く見られる。見た目だけではなく気持ちも体力も若くいれば、今は実行はできずともじっくりと下準備を進めてたら、そのうちチャレンジできることは多いかもしれません。

 

結婚式の話の同期が以前落ち込むワタクシに「遅いということは何ひとつとしてない」と励ましてくれたことがあります。今思えば超早生まれで同期と比べて若干時間に猶予のあるワタクシにぴったしな考え方であるような気がします。そこまで考えて喋ったアドバイスかは分かりませんが(笑)

 

振り返れば幼い頃からいろんなものをあきらめてきましたが、40を超えてもう少し諦めずに色んなことを欲張って生きてもいいのかなー?と思っております。そのためには、チャンスの時間を伸ばしたくやはり健康面から気をつけて過ごしていきたいなーと思うのです。ワタクシに太く短い行き方は無理だ(笑)

 

f:id:zeruo3:20230504070112j:image

↑とはいえ、、ウオークで欲張るとロクなことは無いので、こちらはゴールドパス+たまに1500ガチャのみで遊んで行きたいところ(笑)(笑)

 

 

f:id:zeruo3:20230504070348j:image

↑母の付き添いで引いた今年の初みくじ。めっちゃ良いこと起こりそうで写真に撮ってた。

 

とりあえず体力作りを含めたダイエットを頑張っていくところ。何となく70kgと思ってましたが、20代の頃の175cm65kgの懐かしい体型をめざしても良いのかなーって思ってみたり。

 

おっさんには無理無理と思わず、若くありたいならチャレンジして良いじゃん!って思わないでもないです。

 

発散してきたので、今回はこの辺で。じゃあ頑張ってる皆さんもそれなりに欲張りであれ。

 

2023年5月 それなりに アザゼル

 

送る言葉

母から嬉しい話があるというので、なんなの?って聞いてみたところ、かかりつけ医で血圧を測ったところ20年間一度も下がらずに悩まされてきた高血圧が正常範囲内に収まったとのこと。

 

母となんでだろうね?と話してみたところ、父の死で

・父と接してた時のイライラがなくなった

・父方の親戚と一気に疎遠になった

(もらおうとは思っていなかったが、父の百箇日で何も聞いてもこなかったし送ってもこなかったな。。。叔母たちは。。。案の定というか、好都合だけど。

ここら辺が大きいのかなぁ、というのが二人の共通見解。

 

父方の親戚に関しては色々と書いてきたので今更いうまでもないが、父も父で僕が小さい頃から、「障害者を産んだのはお前」と母に言い放ち午前様で呑みに行くという人だったので、母の血圧が上がる要因になるわなっていうのが正直なところ。

母にとって強烈だったのか、当時幼稚園児だった僕が「我慢しなくて良いんだよ?家出て行っても落ち着いたら僕を迎えにきてね」と言ってたらしいということを母から未だに聞かされる。多少盛ってる話かな?とは思うものの、物心つく頃には呑みに行く過程を省みない父が苦手だったので、おそらく母の言葉はおおむね正しいものと思われる。

 

そんな父もここ数年はなんか知らんけどとっつきやすくなったなぁと感じており、母に何かあったん?と尋ねたのだ。母曰く、ひょんな事からお医者様から弟の障害の原因は父方祖父母の従兄弟同士の結婚がほぼ原因だと聞かされて、喧嘩した際に父に「息子たちに謝れ!!」と怒鳴ったことがきっかけだろうとのこと。多分、父なりに反省することがあったのでしょう。(僕が学生時代にうっすら気づいていたことに父母が老いてから気づくのが、父方の親戚の何があっても隠そうとする強い悪意を感じてしまい、気持ち悪いを通り越して憐れだと思う)

 

父の死に関しては、私は何もできない無力な人間でしかなかったのだけど、母のケアに関してはここ4ヶ月あまり第一優先にして動いてきてそれなりに効果あったのかなぁ?とプラスに思っている。

 

・父の死後実家に戻った。

・母の、父及び親戚に関しての愚痴に関して、否定せずにただひたすら耳を傾け続けた。

・父方の親戚付き合いをなるべく疎遠になるように努めた。

・弟の成年後見人になった。

 

特別なこともしてないし、100%自分だけが正解だとは思ってなかったけど、それでも自分なりにベターな方向になることをやってきたつもり。若干重なりまくったせいか自分自身が不眠に陥いってしまってたけどそれもほぼ解消された。母に自分自身も心配させてしまったんで100点ではないけど合格点とし、一旦ペースは落とそうと思っている。

 

父の日を迎えるこのタイミングで、「母の高血圧が一旦解決したんであの世に行った今も己の後悔を続けるのはやめてください。こっちが気になります。これで手打ちにしてください」という報告を、今年の父の日の贈り物にしたいと思う。看護婦さん経由で、父の死ぬ間際に母をお前に任せると父からの手紙を受け取っていたのでちょうど良いでしょ?

 

そんな母も義理堅く毎日仏壇に飯をあげ父に手を合わせております。来年の今頃までそれが続くようならそれを来年の父の日のプレゼントだとして受け取って欲しいと思う。

 

誰かにドヤりたいわけでもないし、繰り返しになるが自分が正解とは思わないけど、父という日が一つの節目になると思うので、この日誌に吐き出しておこうと思ったのだ。完。

 

(余談)とはいえ、死ぬまで自分の業に気付かない人も多く、それと比べたらまだ父はマシな部類だったのかな。。。と思うのも正直なところ。母のようには義理堅く生きられないなと思うものの、父への恨みが強くないあたり私も血は汚いというか、なんというか。

利益相反だってばよ

弟の成年後見人になるって話の、その先というか根っこにある相続の話。

 

成年後見人の方は誓約書出してね、んじゃぁ誓いますわ、とサインして判子でポンして出したんで、手続き上はひと段落した、はず。なんですよ。

 

ん?なんでそんなに、自信無いの??と言われますと、遺産相続関係の手続きが私が弟の成年後見人になったから進めれる、と思ってたら書類ラリーがちまちま続いておりましてね。

 

ボロ家の相続に感して、私と弟は放棄、元々実家に住んでた母が全て相続で進めていいんだろうなぁと思ってたら、司法書士の先生からこうするしか無いと言われたのが下記の内容。

・遺産に関して、私と弟は元々利害関係が発生している。

・我々兄弟は元々、実家の1/4程度を遺産するのがそもそも妥当。

成年後見人たる私は弟の利益を最大にしなくてはいけない。

・弟の利益を最大にすると、結果的に兄である私が損することになるので、利益相反してしまう。

 

こうなると利益相反関係を解消する必要があるので、遺産相続に関しては私の成年後見人の権限は失効。母から弟に1/4程度支払う(具体的な額はここでは割愛)、弟の代わりのサインは司法書士の先生に入ってもらう、と。

 

へーへーなるへそ。それは知らんかったがね。

 

法律の上では当たり前のことなんだろうけど、欲のないもの同士、負担、手間を減らしたかったなぁ、ってささやかな想いは果たせずでした。

 

母方の祖父母が2回破産申請しているという割とアレな親戚に頭を悩ませたこともあり、私、父母ともに借金を毛嫌いしてる、金への執着心は無い、と揉める関係性では無い事だけがせめてもの救い。

 

うむ、それに比べたら私のケースは愚痴などマイナスな感情は無いのだ。知っている人は知っているんだろうけど、後続の参考になればと、パチパチ旅先でスマホを、さわさわソフトタッチしているのだ。

 

 

これ、面の皮が分厚く、人のふんどしで横綱目指しまーす!!って割と地獄な親族しか居なかったらえらい事になっちゃうんだろうなぁと。。。

 

と、他人事のように書いて締めようかと思ったけど、これ、母が亡くなった時も法律が変わらない限りは同じ話なわけで。資産価値は下がれど、今度は私が弟に1/2の金額を支払うのが筋となるわけで。

 

その時に文句を言わずにささっと払えるような貯金と健康面の蓄えが出来てたら、良いなぁ。

なーんて、かっこいい爺様になりてぇなぁとぼんやり思うものの。今の自分が10代の頃の自分が憧れていた、日経新聞を読んでコーヒーをキメるカッコいいおじさまに慣れていないのを察するに、ダンディな爺様には多分なれないよなー、と。

 

なれても、多少、アフォな事を言うても、まーたあのじいさんバカな事言ってるよーで済ませてもらえる可愛げじいちゃんが良いところだなー、と言う見立て。これでも贔屓目に、自分を見ておりますかね?

 

弟の成年後見人になったら、可愛げのある爺様になりてーなー!と思った話でした。結果的に。じゃあまた。

弟の後見人になれそうです。

弟の成年後見人になる件に関して、面談を受けて結果待ちとなってましたが、家庭裁判所より誓約書が届きました。

どうやら、無事、弟の後見人として認められたようなので文章を残します。

 

まずはスタンスを。

原則として、僕のような障害者の兄弟って兄弟の責任を一生背追い込む必要はありません。僕は、子供の頃、弟のことで友達にいじめられたことはなく(大人にはあるけど)、母とも親子仲が良いし、20代後半に家のことで悩んで地元に戻ってきたような人なので、できる範囲で弟のケアをするスタンスの人です。でも、それが世間一般的に必ず正しいとも思わないし、家と疎遠になっちゃう人はそれはそれで正解だよなぁって思ってます。特に子供の頃に家のことでいじめられた経験のある人や親や他の兄弟と揉めちゃった人はもうどうしようもないもんね。

ただ、相続に絡む話は後者の人にとっても避けては通れないので、ほんの、ほーーーーーんの少し考え方が楽になってくれると良いなぁとちょっぴり図々しい願いをこめて文章に残します。

 

では経緯を。

 

今年の2月に父が亡くなりまして父の遺産相続関係の手続きを母の方に勧めてもらってました。父が残したものとしては実家のオンボロマンション。引き続き母の居住地とするため、母に全て相続してもらうつもりで行政書士さんに相談。弟が障害者ということを隠して手続き進めることもできるけど後々面倒なケースになるので、後見人を立てて後見人が弟の代理で相続を辞退するとした方がいいと意見をもらったのです。

母はまだ70前、後期高齢者にはまだまだ年数に余裕がありますが、先を見据えて兄である僕が適任だろうとなりました。

 

数年前、両親が弟のために貯めていた定期が満期を迎え、普通口座に移し替えようとしていた際に、本人に判断能力の無い障害者の口座は後見人無しでは解約できないと言われまして、行く行くは後見人になって欲しいとは両親から希望を聞いていたんですね。だいぶ先の話かと思ってましたが、父がバタバタと亡くなりまして思ってたよりもだいぶ前倒しになりました。

 

行政書士さんの方で後見人に必要な申請書類を作ってもらい、弟がお世話になってる施設のあり家庭裁判所に提出。4月の終わり頃、家庭裁判所より電話があり面談を行うことになりました。

 

母と一緒に来てくださいとのことで、面談の方は1時間ほど。特に準備するものもなく、面談担当の方から最初は、成年後見人になることに抵抗はありませんか??と聞かれたのが印象的でした。義務ではなく、どちらかというと、後見人になる人(家族)の支援の側面が強い制度なのかなぁって印象ですね。家族が断った場合は、家庭裁判所の人が後見人を任命しますからね。

 

あとは、本人との関係性であったり、僕と母の親子仲であったり、弟の貯金を使う予定があるのか?って話と聞かれました。まぁ世の中、ここぞとばっかりに金を使い込む人がいるんでしょうね。。。悲しいことではあるけど、他所様の家庭には何も言えない。

 

正直に使う予定は無いんだけど、弟が状態が悪い際にお世話になっている施設の箪笥を壊して修理代で結構かかったりしたのでそういう際に使用するか判断したい(母は専業主婦だったので遺族年金が少ないからね)、弟は多血症、体の弱い父方の血をどうも濃くひいいているみたいなんで大病で入院した時などに備えたいと伝えました。

 

母方の祖父母が自己破産を2回するようなとんでもない人たちで、母は子供の頃から苦労しており、また僕自身も子供ながらに祖父母のトラブルは見ていることもあったので、お金のトラブルがものすごく嫌であること、そちらのほうも話し面談は終了。担当の方が安心した顔だったのが印象的でした。

 

面談の中で、あなたにとっても将来ためになる話ではあるから、困ることあったら家庭裁判所行政書士さんに相談してくださいとも言われました。

 

弟と歳が近いこともあり順番からいけば僕からあの世に行くことになるので、ずっと先ではありますが、僕に判断能力がなくなれば次の代理人の話もしないといけません。家庭裁判書の方で交代するか判断するとはいえ、判断能力が置いてきてからあたふたするのも大変なんで、今のうちから知っておくのは長い目で見れば良いのかなぁって思います。

 

その後。面談から1週間くらいで誓約書が届きました。時間はかからないですね。近いうちに正式に認められましたと連絡が来るのでしょう。

 

一番は障害者のお金を勝手に使い込まないようにするのが目的で作られた制度かとは思いますが、兄弟に負担を押し付けるようなものではなく、どちらかというと軽減する役目が強いので、どんなスタンスであろうと最大限に活用すればいい制度ですね。

 

最近は僕らが子供の頃よりも発達障害と認定される子どもが増えてると聞きます。まだまだ不十分な面あると思いますが、昔に比べて制度が少しずつ整備されていっているようです。

困ったらその道のプロにするのが一番ですね。自分一人で解決できないことがほとんどですから。

 

多分、多分ですけど、未来はもっと法制度が整備されると思います。分かり合えない人もいるかと思いますが、気持ちを分かってくれる人も絶対いると思うので、今の小さい子たちは今に絶望しても大きくなるにつれて見れる世界が広がって少しづつ気持ちが楽になると思います。

 

でも、本当は今の小さい子やその親御さんが、その時点で気持ちが楽になる世の中になると良いなぁ。最後もちょっぴり図々しい願いを込めて筆を置くとします。では、また何か書きたくなったらー。

母が謎の手紙の解読に成功していた話

夕方。LINE。母より、父がもって1週間か10日かもつか持たないか、と宣言されたとメッセージ。残業それなりにこなして帰宅。母に電話する。遅くなってごーめんね。色々と話す。

 

その中で、昨日受け取った父からの手紙の内容の謎が大体解けたと聞かされる。文字がブレブレで、妄想を見ているせいか支離滅裂、分かるのは最後の「ごめんなさい」のみ。よーわかったね、と話を聞いてみると、解けた理由が分かった。

 

・なんか年末入院する直前、母の胸にも小さなしこりがあったらしく、父が病院に行けと言ったところ、母に父の方が今は大変!それどころじゃねぇ!と打ち返されていたことを気に病んで、自分のことばっかしでごめんなさいと謝ってた模様。

 

母にしか、解けねーじゃねぇか!

 

昔から体が弱く(低体温症、肝炎、腸閉塞で死にかけ、肺癌初期、ヘルニア、髪の毛薄いetc)、何かと病院のお世話になっていた父。気が利かない、マイルドに尖っていたこともあり、母がどこか悪いと言っても、あんまり気のきいたことを言えずに、母と喧嘩した際にドッカーンした母からあの時は、、、と猛攻撃を受けてましたね。

 

年をとり、若干角が取れてから若き日のetcを反省して後悔してたこと、、、隠してたつもりでしょうけど、僕知ってましたよ?

 

でもね、父さん。良いかい。父さん。母さんはね、父さんのこと気の利いたことは絶対言えないともう悟って諦めてたから。今回のことは謝らなくてもいいと思うんだよ。僕、この話聞いてなんなんwって思わず言っちゃったもん。いや謝るのは悪いことじゃ無いんだけどね、でもね、「ごめんなさい、でもありがとう」ってもう一言添えてた方が母さんは嬉しかったと思うんだ。「ありがとう」で終わってた方が嬉しいんだよ。そんなもんさ。家族だもん。でも、父さんらしいなって正直思いました。1,000父さんポインツ、贈呈です。

 

長くは無いと言うことで、本日より面会可能な病棟の方に移った父親。大事な話があるとお医者様に呼び出されて話たあと、母さんは父と面会したようです。

 

と言っても父は寝たっきり、母が「誰か分かる?」と問いかけても「ううん」と首を横に振ったとのこと。「うん」って首を縦に振るもんだと思っていた母は「えええええええええ!」って思わず口にして看護婦さんに笑われたと電話越しに笑ってました。

こんな時は嘘でも良いから「うん!」って首を縦に振れば良いのに。母さんあんな難解な手紙を解読してたのに。。。かわいそう。。。父さん、、、そう言うとこやぞ?でも父さんらしいから10,000父さんポインツ、贈呈です。

 

いっつも明るい母も流石にこたえてる模様。電話越しに「私が日頃の行い良くないけ、こんな目に相寄るんかね」とこぼしていたので、「そんなことないよー。行いが悪かったら、父さん、あんな母さんのこと心配した手紙書かんやろー?」って取ってつけたような言葉をかけました。えぇはい。取ってつけたような言葉です。アヒルの子はアヒル。僕も口がうまくありません。こんな時にスマートな言葉で人を励ますことができないのです。僕にも100,000父さんポインツくれませんか?

 

職場が割とアレだし、父さんが生きているうちに会えるか分からないけど、見たらクスッとしてくれそうな文章を残しておきます。天国に行ったらスマホの使い方覚えてみてくださいね。息子はくよくよせず、前向きに切り替えるように頑張ってますよー。

 

母さんの胸のしこりは私にお任せくださいませ。今は言うても効かんと思いますが、ことが済めば、即病院に連れて行きますので。