欲しい物を手に入れてしまっていた

自分の心境の変化を感じるので、ここに書いて置く。

 

今年の二月頭に父の3回忌を行なって無事に終わった。

昨年末は叔母が亡くなり2月まで家のことをバタバタとこなしてた。祖父母は従兄弟同士の結婚。父達兄弟は

 

一人で過ごしたいと思い、プロ野球のキャンプを見に宮崎キャンプを見に旅に出た。

 

キャンプの日程をちゃんと確認して無かったので、1日目はお目当ての球団の練習を見れなかったのは残念だったけど、プロ野球全体が好きなので他の球団のキャンプを見にいったら、あっちこち観光して回って楽しく過ごせた。

 

歩き回って疲れてたせいかアルコールを少し飲んだら、ぐっすりと眠りに落ちた。

 

その日は夢を見た。自分は普段夢を見ることがない。起きたら夢の内容を覚えてない。というのが正確なのかもしれないけど、その日の夢の内容は三ヶ月経った今でも覚えている。

 

父だった。父がいたのだ。情景は20年くらい前だろうか、どうも自分が就職する前で、家の台所で進路に悩んでた場面だった。

 

うーんって悩んでる自分を横目になんの気も無しにトイレに入っていく父を見かけた時、夢の中の自分は当時には戻りきっておらず、父を亡くした今の自分とこんがらがってしまい、思わず

 

父さん!!!

 

と声にならない叫び声を出した所で、夢から覚めた。

 

 

泣いていた。薄らではあったけど泣いていたのだ。祖母の葬式でも泣けず、実の父が亡くなった時も葬式でも法事毎全部で泣けず、訃報に涙したという人の話を聞いては、自分は冷たい人間なのかな?と思っていたけど久しぶりに泣いた。泣けたのだ。

 

弟の事。自分にうまくやれるのかなー?と自信はなかったけど、あまり振り返らず感情的にならずにやるべき事をやってきたので正直なく暇程気が緩む暇がなかったというのが本音なのだろう。

 

幸いな事に弟は父の死を受け入れて特に取り乱す事もなく2年間過ごせているので、上出来だと思う。

望んで実家に戻ったわけでもなく、ましてや血が繋がっていえど価値観の違う母とは喧嘩もしたりするが、それでも世間一般から見ればうまく母とはやれてる方なんだろうな。障碍者の弟の状態が崩れてないことへ母な感謝の言葉は素直にしている。

父の3回忌は、自分と母と弟の3人だけでやったとはいえ、今まで親戚から呼ばれなかった弟を呼べたので、大満足なのである。法事に弟を呼ぶ。

多分あんまり分かってもらえないだろうけど、自分がずっとしたかった事だったのです。

 

正直にいえば、父とは生前折り合いが悪く、あんまり会話のない親子で、最近父が丸くなったなぁ、これなら少しづつ仲良くなれるなぁと思ってた矢先に父に死なれて、心底心にきてたんだけど。

 

ただ死ぬ間際に母親を頼むと自分宛への手紙を書いていたことから察するに、なんだかんだで世の中で自分の事を1番信頼してくれていたのが父だったんだろうなぁと、今になって思うんです。遅いよ!と、父を憎んだり、自分へ後悔したりもせずに。

 

色々と諦めたものが人よりも多い人生ってだったけど、これからも諦めるものが多いんだろうけど。

 

自分の感情が他人にあまり左右されずにあくまで自分に軸があるからだろうけど、ある程度事情をわかってくれてる上司からは達観してるねと評価されたりするので、諦めてはいるけど前向きではあるんだろうなぁ。と思うし。

 

10代の頃から人生がつまらなくなればいつ死んでも良いやって思って生きてきて、それは今でも変わってないけど、自分にとってつまらないとは無味無臭をさすので、この先、死にたいなぁーと思うことはないんだろうなぁと、確信している。

 

自分に流れてる血だけはどうもこうもしょうがなくて悲しみの原因である血が流れている自分が生まれてきても良かったのだろうか?って悲しみだけは自分から消えることは一生無いんだろうけど、それは無味無臭をもたらさないので、消えなくても良いんだって思っている。

 

諦めたものは多いけど、若い時に1番欲しかった自分への自信というものを、手に入れてる気はするなー。世の中の啓発本と違って無自覚になんだけど。

 

後付な気はするけど、だからこそ父が世の中で1番信頼してくれたのが自分なんだろうなぁ。と思う。

 

自分の境遇を羨ましがる人は少ないだろうけど、今の心境を羨ましがる人は一定数いるかもしれんね。やっぱり自分の人生が無味無臭になることは、これから先も、この先もきっと皆無だと確信してる。